ポケモンダンスの動画を見ると、涙が出る。
1年前、仕事がすごく忙しかった時期のこと。
甥っ子がよく見ていたその動画の歌が、いつの間にか頭の中でぐるぐる回っていた。
ある日、仕事をしながらその歌が聞こえてきて、ふと動画を探して見てみました。
そうしたら、ダーッと涙が溢れてきて、頭に勝手に浮かんできた言葉が「なさけない」だった。
それからたまに動画を流して、泣きながら仕事をしていました。
最近、それを思い出して動画を見てみたら、前ほどじゃないけど、ウルウルしてやっぱり泣ける。
ちなみに、人間とキグルミバージョンの動画には反応しない。 あの歌とアニメの組み合わせで泣くみたい。
なんでだろう?
無邪気な世界と、必死な自分

動画の中のポケモンたちは、それぞれが自由気ままに楽しんだり寝てたりしている。
人間とポケモンの信頼関係がある。 みんな無邪気で楽しそう。
対して、当時の私は必死に納期に向けて仕事をしていました。
楽しい、余裕、自由、みたいなものが持てない。
甥っ子と一緒にいる時間も、仕事のことが頭から離れなくて、純粋に過ごせていませんでした。
動画に映る世界と、自分の状況。
そのコントラストが、何かを刺激していたんだと思う。
「なさけない」の正体

あの時浮かんできた「なさけない」という言葉。
最初はよく分からなかったけど、今になって考えると、二重の意味があったんじゃないかと思うんです。
ひとつは、楽しく自由気ままな自分のまんまじゃ世間に通用しない、という現実。
自分が興味あること、楽しいことをやって、こんな楽しいことあったよとか、こんな発見したよとか、誰かに話す。
認めてもらわなくても、知ってもらえたら満足する。
私の本質って、多分そういうところにあるんです。
子どもの頃、一人遊びが好きでした。自分のペースで、自分の世界を作れるから。
でも現実的には、収入を確保するために余裕なく仕事をしなきゃいけない。
ブログも「やらなきゃ」と思ってやる。
本質のまんまじゃ通用しない。
それが、なさけない。
もうひとつは、本質を抑え込んで頑張っているのに、結果も出せていない自分。
自由気ままにやりたいことだけやってるわけじゃないんです。
ちゃんと形にして、価値を喜んでくれそうな人に届けようとしている。
でもそれでも、余裕は生まれない。 頑張ってるのに、うまくいかない。
それも、なさけない。
どっちに転んでも「なさけない」。 そのループの中にいました。
歌詞が教えてくれたこと

後になって、ポケモンダンスの歌詞を調べてみました。
「キミにきめた」「となりにいたいよ」「やっとあえたね」。
無条件の選択。ただそばにいたいという願い。シンプルな幸福。
これって、ただ一緒にいるだけで幸せっていう関係性なんだよね。
何かを成し遂げなくても、生産性がなくても、ただそこにいて、自分のペースで過ごして、それでも選ばれて、愛されてる。
私が求めていたのは、これだった。
自分の力を発揮して、互いに信頼があって、幸せ。そういう状態。
でも当時の私は、そこから遠く離れていました。
当時、歌の意味も知らずに聞いていたのに、本能で聞き分けていたんだろうか…。
今もウルウルする理由

最近、ふと当時のことを思い出して、動画を見てみました。
すると前ほどじゃないけど、やっぱりウルウルするんです。
去年と今、何が変わったんだろう。
忙しさは、あの時ほどじゃない。
でも心の余裕は、あまり変わらない気がする。
ブログを頑張らなきゃという思いもある。収入が減った気がかりもある。
でも、去年と決定的に違うのは、その状態を作ろうとしているということ。
去年は完全に諦めてた。だからダーッと号泣していました。
今は、まだできてないけど、作ろうと頑張ってる。 だからウルウルするだけで済んでいるのかもしれない。
自分のペースで、楽しく自由気ままに過ごしながら、それでも誰かと信頼関係を築いて、幸せでいられる状態。
それを目指して、試行錯誤しています。
一人遊びが好きだけど、それを「見せて」「一緒に遊ぼう」って思うと、とたんに重くなる。
形にしなきゃ、説明しなきゃ、楽しませなきゃ。
そのプロセスが、まだ「やらなきゃ」になっています。
でも、それが「楽しい」に変わる日が来るかもしれない。
誰かに選ばれて、信頼関係がある中で、自分の本質を出せる状態。
それを見つけられたら、きっととっても幸せなことなんだと思います。
まだ、そこには辿り着いていない。でも諦めてはいない。
ポケモンダンスを見ても涙が出なくなる日が来るとしたら、それはきっと、「私もこれになった」って思える日なんだろう。
あなたにとっての「一人遊び」は何ですか?
そして、それを人に見せようとしたとき、何が変わる?
